これって親の期待を子どもに押し付けるようになるきっかけでしょうか?

これって親の期待を子どもに押し付けるようになるきっかけでしょうか?

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子育てをしていると、時折まるで人生を生き直しているような感覚にとらわれることはありませんか?
私の場合、我が子が4歳になる少し前あたり、新生児や乳児時代とは手のかかり方も異なってきたあたりからそう感じるようになりました。
■女親には未知である男児の行動、生活を目の当たりにし「生き直している感」を覚える
私は女性で子どもは男児。姉妹の姉として生まれ、我が母も三姉妹…と親戚じゅうがオンナだらけという環境で育ったせいもあって、男の子の人生なるものがほとんど未知の世界であるに等しいせいかもしれません。

電車や飛行機に熱中し、ザリガニ釣りをする。

体いっぱい使って運動をする、バットを振り回して素振りに余念がない。

挙げだすとキリがないのですが、そんなふうに日常のどのシーンを切り取っても私が未経験だったことも少なくありません。

登園しては覚えて帰ってくる、「ば・か・や・ろ・う」、「ママなんかぶっとばせ」、「コ・ノ・ヤ・ロ・ウ」などのいわゆる男言葉。もっと突っ込んだ話をすればお風呂での体の洗い方が違うとかそんなことも!

あれやこれやすべてを目の前で見、付き合うのは正直、ヘトヘトになるし、傷つくこともあるし、「なんだと?!」と怒り浸透に発することもありました。

ところがあるときほんとうに突然に、冒頭で書いたような不思議な感覚を覚えたのです。

「なんだか生き直しているみたいだな」
■子どもに付き合ううちにいつのまにか自分のライフスタイルまで一新したような気に…
行動範囲も広く奥深くなりました。近所の公園という公園をはしごすることもしかり、息子がなるべく自然と触れ合えるようにとしばしば出かける旅先しかり。

都心へと向かっていた意識は気付けば郊外へと方向転換して、「東京にもこんなに山が?!自然が?!」と感動すら覚えながら奥へ奥へと未知なる場所を求める日々です。

元来怠け者の出不精ですが、子どもがいるとそんな生活スタイルを貫くことが許されわけもなく。なかば強制的に外へと出かけては毎度ぐったりとして、「一日中寝かせてくれ!」と嘆いていたはずなのに…。

初体験を多く繰り返すうちに、私自身がそれらを楽しめる余裕が生まれていたということなのでしょうか?

行動的、活動的な日々も悪くないなとニヤリ、SNSにも旅記事を連投したりして。らしからぬ自分のライフスタイルに私本人が驚きながらも馴染んでしまったという…。
■まさか私は子どもの人生をコントロールする予備群では?
でもまたあるときに、ふと我に帰るのです。

「こうして世の母たちは子どもの人生をコントロールする存在へと陥っていくのではないか」と。

そもそもは息子が楽しいと思って行動することに寄り添っていたスタートでしたが、そのうちに「これをしたら喜ぶはず」、「なんなら私も楽しい」という視点で遊びの内容、出かける先を決め、押し付けるようになる可能性が大いにありはしないだろうか。

いや、なんならもうそうしているのかも。

子どもの言動を見ていると、時折「私はやったことないなあ」、「やりたいと思っていたけれど結局やらずにここまで来てしまったなあ」という思いがよぎります。

そのあとは「あのときやればよかったな」、「楽しそうだな」、「せっかくだからやってみたら?」という何段活用かで子どもを促す自分がいて。

子どもから出てきた希望に対し「えー、それはやりたくないな」、「好きじゃない」という気持ちが芽生えることがあるのも本当のところなのです。

今はまだそれがその日に見る映画や出かける街…という選択肢で留まっているからいいようなものですが。

あと少しすると、やりたいスポーツ、習い事、行きたい学校などをどれにするかと、より大きく人生を左右することになるかもしれない選択を迫られる場面が続々とひかえています。
もちろんその選択にあたり、親には子どもが考えるヒントを与えたり、子どもの本音を引き出したり、背中を押してあげたりする責任はあるでしょう。でも、こちらの意思を押し付けることはしてはいけないはず。

でも少々自信がありません。

だってグィネス・パルトロウの映画『スライディング・ドア』じゃありませんが、生き直している感覚を覚えながら「こっちの選択をするとどうなっていたかな」などと受験や就職のシーンなど人生の点という点を振り返り、なぞり直すようなことをついついしている自分がいるのですから!
■子離れする日をイメトレしつつ、子どもは一個人であることを意識する
今のうちから子離れについて考えるなんて早すぎると言われそうですが、それでも私のようなタイプは「子離れする日」を思い描きイメトレしておくほうがいいように思いもしています。

すでに幼児ともなると、子どもの意識も外へと向かいつつありますし、世界が広がりつつあるのがわかります。「ママ、ママ」と追いかけてくれなくなる日は遠くないのです。

小さいながらも子どもには子どもの人生があります。

生まれて来てくれたことで、親はたくさんの“はじめて”を経験させてもらえ、毎日毎日新鮮な発見に驚いたり、泣いたり、笑ったり。

でもそれはきっと人生に深みが増したということ。決して生き直しているわけではないのですよね。
今夜もまた、園で覚えてきたどんな男言葉を聞けるのかを楽しみに、彼の人生を客観的に見つめられる母を心がけます。

コバヤシ アサ
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