「ときめき」が原動力!イラストで人とクラフトビールを繋げたい。

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自分の手で何かを作るのが好き

熊本県山鹿市で生まれました。その後、2歳のときに家庭の事情で茨城県に引越しました。幼い頃はよく泣く子で、いつも泣いていたそうです。兄が一人いますが、とにかく私はお兄ちゃん子でした。兄について歩き、よく外遊びをしていました。

外で遊ばないときは、絵を描いたりプラモデルを作ったりしていました。戦艦プラモデル好きな父の影響で、兄も「ガンダム」のプラモデルをよく作っていました。私も真似してプラモデルをやっていました。

父は戦艦のプラモデルのコンテストで全国2位になりました。兄もプラモデルを組み立てるのが上手な人でした。何かを作るのが好きな家族なんだと思っていました。

プラモデル以外にも、私は絵を描くことが好きでした。母がペンと紙で何かを描いているのを見て、興味を持ちました。手にペンを持って自由に線を引くこと。人の顔などの絵を描くこと。私は夢中になっていました。

小学校では、低学年、中学年くらいまでは、圧倒的に男の子の友達の方が多かったですね。兄の友達とも仲が良かったですし、外で体を動かして遊ぶことが好きでした。高学年になる頃には、周りの目を気にしだし、女の子といるようになりました。休み時間になるとだれかの席に集まってお喋りを楽しむという感じです。

中学では音楽に興味を持ち、合唱部と吹奏楽部を掛け持ちしました。絵を描くことも相変わらず大好きだったのですが、部活に入ろうとは思いませんでした。だれかに教わったり、だれかと競ったりするよりも、もっと自由に自分の好きなものを描いていたかった。ひとりで落書きのような絵を描き続けていました。

受験失敗。頑張ることを知らずに就職

中学校の成績はかなり上位の方でした。兄も頭が良かったですし、勉強で特に何かにつまづくということはありませんでした。地元で上位の進学校を志望し、受験しました。でも、不合格でした。

先生や親は驚いたり、悲しんだりしていましたが、私は「そっかー。仕方ないや、頑張ってなかったから」としか思いませんでした。結局、滑り止めだった私立高校に通うことになりました。

高校では中学の頃よりも勉強を頑張るようになりました。絵は変わらず大好きでした。人の顔、女の子、創作漫画など、描きたいものが増えていました。

受験生になると、進路を考えるようになりました。私立高校で成績は上の方。推薦ももらえそうな位置にいたので、選択肢は多くありました。その中でもやりたいことは何かと考えて、やはり「絵」の道に決めました。

それからは絵の塾に通うようになりました。それが本当に楽しくて。デッサンを学ぶってこんなに楽しいんだ、絵を描くってこんなに楽しいんだ、と感じました。さらにいうと、絵をうまく描ける自分がどんどん好きになっていきました(笑)。

大学は、筑波大学の芸術専門学群に推薦合格しました。入学してしばらくすると、「ここは絵を描く学校だ」と感じました。それまでは自分がうまく描ければそれでいいと思っていましたが、人の評価や人の目に慣れなければいけませんでした。何もかもさらけ出さなければいけないという、恐怖に似た感情が湧きました。

大学2年生になる頃には、大好きだったはずの絵への興味が薄れていました。それで、入学当初から入っていた生徒会の活動にシフトしていきました。生徒会でイベントなどのポスターを作らせてもらえるようになりましたが、そっちは楽しかったですね。でも授業の絵はどんどんつまらなくなっていきました。それからは、真面目な態度で授業を受けなかったり、出席すらしなかったりもしました。

大学3年生の後半にまわりが就活を始めると、自分も流れで始めました。でも、やりたいことなんて何もありませんでした。絵で就職しようとも思いませんでした。絵を頑張ってきませんでしたから、なんの実績もなかったんですね。漠然と、最後のラインみたいな感じで「ものづくりの仕事ならなんでもいい」と、一番最初に受けて受かった雑誌制作会社に入社しました。

どん底からのリスタート。自分の絵を多くの人に見てもらいたい

社会人としてのスタートは名古屋から始めました。情報誌の制作アシスタントを務めていました。

その会社では試用期間があり、大抵はみんな3ヶ月くらいで終了して社員になります。でも、私は、もともと人の話を聞いて、理解して、アウトプットするのが得意ではなかったのかもしれません。3ヶ月はおろか、半年経っても一人前になれませんでした。

「この仕事は自分には向いていないかもしれない」と思うようになりました。でも、すぐに辞めてしまっては会社の人にも迷惑がかかってしまうと悩みました。

何もできない自分しか見えず、本当に「どん底」の気分でした。ストレスも相当で、衝動的に自分の髪を刈り上げてしまうこともありました。安定しない精神状態で会社に行っても業務をうまくこなせるはずがなく、負のループでした。

ある時、ふと「ここから這い上がれるのも、自分を救えるのも自分しかない」と心に思いました。このどん底から這い上がるための場所は、ここではない。どこかでそれをしよう。そう思い、上司にありのままを伝え、会社を辞め、一旦実家の茨城に戻ることにしました。

実家に戻り、初めて「自分のしたいこと、やりたいこと」を本気で考える時間を持ちました。たどり着いたのは「絵」。昔から大好きだったことを仕事にしたいということでした。

何の絵を描いたらいいのかは分からないままでしたが、バイトをしてお金を稼ぎ、ビジネスや将来のビジョンを意識して絵を描くようになりました。描いているうちに、「自己満足ではいけないから、見てもらわなければ」と思うようになります。

そんなことをしていたら、知人の紹介でイベントのフライヤー作成の仕事をもらいました。その仕事でまた人が繋がって、また仕事になってと、少しずつ仕事が増えるようになりました。それから、「コミティア」に描いた絵を出してみることもしました。

もっともっと多くの人に見てもらわなければいけない。人に見てもらう場が足りない。そう思ったので、個展を開くことにしました。

ビアイラストレーターというニッチな世界への挑戦

初めて個展を開催したのは、京都にあるカフェ。そこも人がつないでくれたお店です。個展をする前に考えたことがニつあります。一つは自分がどんな絵を描いて飾りたいのかということ、もう一つはどうすれば見に来てくれた人を楽しませられるかということです。個展といっても、ただ見てもらうだけではつまらないので、見に来てくれた人が展示に参加できる仕掛けが必要だと思いました。

これは自分にとって大きな変化でした。それまでは自分が何をしたいのかを考えないで行動することが多くありました。それがうまくいかなくて、自分をダメなやつだと卑下してしまう。だから今回は、「好きなことは全部やる!そのために何が好きか、何が本当にやりたいことなのかを考えよう」と思ったんです。

それからも個展を何度かしていると、手応えを得られるようになっていきました。そして、「一番自分らしいこと、ときめきや好きと感じるセンサーを大切に行動しよう」と強く思うようになりました。

次に考えたのが「なんの絵で食べていこう」ということです。

そこで思いついたのが、「クラフトビール」というテーマ。クラフトビールは世界中で飲まれている共通言語のようなお酒。苦いからと敬遠する人もいるけれど、実はものすごく種類があって、きっとその人にぴったりの1本が存在する飲み物。多様性があって、かつ普遍的で、人を幸せにできる飲み物。クラフトビールを飲む人はたくさんいるし、売る人もつくる人もいる。でもそこにイラストで切り込んでいる人はそういません。自分はココだ!と思いました。

大好きなクラフトビールの色んな顔を多くの人に伝えたい、クラフトビールが苦手な人がちょっと手に取りたくなるような仕掛けを作りたい。そういった活動をすることで自分がどう変われるかを試してみようと思いました。

自分の感覚に正直に、人の行動のきっかけになる作品づくりを

今は、「ビライラストレーター」の活動をしています。ビアイラストレーターを名乗って名刺を作り、クラフトビールを紹介する小冊子を自主制作し、クラフトビールのイベントで手売りしました。買う人が「おもしろいね」と手にとってくれました。

それから、その冊子を手に、都内のビアパブに営業のような形で飛び込み、自分の活動を伝えてまわりました。すると「じゃあ描いて」と徐々に声をかけてもらえるようになり、看板や店のガラスなどのペインティングを依頼してもらえるようになりました。

今では、ただ描くだけでは面白くないと、即興で絵を描く「ライブペインティング」を行ったりもしています。


大切にしていることは、自分の「これが好き」というときめき。まずは自分が好きでないと、人になんて伝えられませんから。

昨年2月には、クラフトビールを飲むためだけに1週間ベルギーに行きました。そこで70種類のクラフトビールを試しました。こうした自分の体験は、必ず作品に生きてくるものと思っています。

ビアイラストレーターの活動だけでは、正直生計が成り立ちませんので現在はアルバイトもしています。大変ですが、すべてが楽しいですね。

店舗の看板やガラスを見て、「美味しそう」「おしゃれだな」と人が入ってくれるなど、自分の作ったものが誰かの行動のきっかけになれば嬉しいですし、小さくとも誰かの行動の扉を開けるお手伝いになっていたら幸せです。

人の行動の大きな渦はすぐには作れません。今は、だれかの行動を促す小さなきっかけ作りを続けていきたいと思います。

インタビュー:髙野 詩織

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