母ひとりに育てられたユージに聞く、「子連れ結婚」は幸せですか?

母ひとりに育てられたユージに聞く、「子連れ結婚」は幸せですか?

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近年、子どもを連れて再婚した夫婦による家族を「ステップファミリー」と表現することをご存知ですか? 昔に比べて離婚・再婚・ひとり親(シングルマザー / ファーザー)が増え、日本人の「家族」に対する考え方の変化によって生まれた言葉といえるかもしれません。2013年の厚生労働省の調べによると、全婚姻件数のうち女性の再婚は16.5%を占めており、20年前に比べ5.4%も増えている結果に。とはいえ、ひとり親には金銭的負担や再婚の難しさなど、さまざまな課題が残されています。

そこで今回は、ひとり親で育った環境と、子連れでの結婚、両方の経験を持つタレントのユージさんに、子どものころに経験した母子家庭のお話や、結婚と同時に小学生のパパになったときの心境などをお聞きしました。5歳の頃に両親が離婚し、母ひとり子ひとりの家庭で育ち、父親像を知らずに育ったユージさんが幸せな家庭を築くまでには、どんな現実が待っていたのでしょうか。良き夫、良きパパであるユージさんの人生から見えてくる、「新しい家族」の形とは?

取材・文:石本真樹 撮影:田中一人
プロフィール

ユージ
1987年9月9日生まれ。アメリカ出身。曾祖父はドミニカ共和国の元大統領、父はハリウッド俳優、母は日本人の元モデルというセレブな家庭に生まれる。5歳のときに両親が離婚したことがきっかけで日本に渡り、母子家庭で育つ。2003年、映画『アカルイミライ』で俳優デビューし、ファッション誌のモデル、役者、タレントとして幅広く活躍。2014年2月に小学生の息子がいる7歳年上の奥さんと結婚し、一児のパパに。同年に長女、翌年に次女が生まれ、現在は5人家族。家事、育児に積極的に参加する良きパパとしても知られ、2016年にはベスト・ファーザー賞とイクメン・オブ・ザ・イヤーを受賞している。
http://ameblo.jp/lp-yuji/
「父親」について考えたこともなかった。だって、僕は父親の顔すら知らないんだから。
—ユージさんは5歳のときにご両親が離婚されて、お母様と二人家族という環境で育ったそうですが、当時はどんなことを感じていたのでしょうか?

ユージ:いまになって振り返ると、当時はとても寂しい想いをしていたと思うんですが、母にその気持ちを言えなかったし、伝える術を知らなかった。というか、自分が寂しいということもよくわかっていなくて。

あと、日本に帰国した5歳の僕は日本語を話せなかったから、周りともコミュニケーションがとれない。そんな環境がより孤独を感じさせたのかもしれません。アメリカンスクールに通ったあと、小学校3年生のときに日本の小学校に転校するんですが、そこでも言葉の壁はすごかったですね。

—日本語でコミュニケーションがとれないユージさんを、同級生はどう見ていたのでしょうか?

ユージ:まずはトーマス・ユージ・ゴードンという名前を「機関車トーマスだ!」といじられる。子どもだからおもしろがっているだけなんですが、僕はすごく悲しくて。母は仕事で忙しくて家にあまりいなかったので、「学校でこういうことがあって」という話もできませんでした。あまり友だちができずに孤独なまま小学校を卒業し、中学校ではそんな自分を変えたいという思いから、怖いお兄さんたちの真似をして、気づけばピュアな僕の面影はなくなっていました。

—馬鹿にされたくないという気持ちが人一倍強く、虚勢で「不良」のお面を被ったのですね。

ユージ:はい。だけど反抗期の勢いは止まらず、どんどん素行が悪くなり、母は何度も学校に呼び出されて、相当迷惑をかけました。母は子どもをほめない人だったんですね。学校に呼び出されたときも、僕の言い分なんて聞かず、一方的に怒鳴る。その態度を見て、「僕のことが嫌いなんだ」と思ってしまって。そこから「もう親のためにいい子でいる必要はない」と、さらに心を閉ざしてしまったんです。とにかく中学時代は荒れていましたね。

—お母様も仕事で忙しいし、ユージさんも寂しいことをうまく表現できない。家庭を守るために働くひとり親とひとりっ子では、コミュニケーション不足ですれ違ってしまうことも多いでしょうね。その頃は「父親」という存在はどう捉えていたのですか?

ユージ:まったく父親について考えたことはなかったです。父の優しい一面を覚えていれば母と比べていたんでしょうけど、顔すら覚えていなかったので。小さい頃にキャッチボールをしている親子を見て、「いいな」と思うことはありましたけど、それぐらい。思い浮かべる父親像がないし、母のことも嫌いだったから、「もう一人、親がいたら最悪だ。一人で充分だ」と思っていました。

反抗する僕が変わったのは、母の愛に気づいたから。18歳で初対面した父親は「友だち」みたいだった。
—18歳の頃に1年間、アメリカでお父様と一緒に生活されて、その日々が今後の母子の関係を変える転機になったそうですね。

ユージ:はい。高校でもっと悪くなって、学校にもほとんど行かず、母とも音信不通になりました。16歳の頃から一人暮らしを始めて建築関係の仕事をしつつも、不良集団とはつき合いを続けていました。だけど、17、8歳の頃に、「このままでいいのかな」と自分の生き方について考えるようになりました。

そんなとき、知らないおばさんに話しかけられ、「アメリカに行けば変われるわよ」とすすめられたんです。しかも2日後の航空券まで用意していた。「え? 誰?」と驚きつつも、アメリカには親戚もいるし「タダならいっか」という軽い気持ちで渡米を決めました。その人が母親の友人だったということはあとで知るんですが、アメリカの空港に着いたら、「ユージ!」って言いながら近づいて来る男の顔が、まったく僕と一緒で(笑)。すぐに父だとわかりましたね。そのときに「うちに来い」と言われたので、そのまま一緒に暮らし始めました。

当時のユージさんとお父様。友だちのような関係だった。
—ユージさんにとっては、お父様との初対面。どんな印象でしたか?

ユージ:フレンドリーだったので、「お父さん」という感じはまったくしなくて、友だちみたいな感じで接していました。結局、1年間アメリカでの生活が続いたのですが、帰国するときに父が、「じつはこのアメリカにいる1年間、お前の生活費は全部お母さんが送金してくれていたんだぞ」と教えてくれたんです。このアメリカ行きの裏には母の行動があったことを、そのとき初めて知りました。母はどうにかして僕を変えたいと試行錯誤してくれていたのに、僕が勝手に壁を作って、母の愛を受け入れていなかった。それで3年ぶりくらいに母に電話して、まず「ごめんね」と謝りました。

—そのときのお母様の反応は?

ユージ:それが、昨日まで一緒にいたかのようなテンションで「何が?」って(笑)。母は常に僕のことを考えてくれていたから、心配することが日常だったんですよね。そこから母に対する気持ちが変わりました。それまでの愛情を取り戻すかのように、母親が大好きなマザコンみたいになっちゃったんですけど、いまは僕に家族ができたので、ほど良い距離感を保っています(笑)。

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