「明けない夜もある」それがママ業のリアル。泣きたくなったママはどこで泣けばいいのでしょう?

「明けない夜もある」それがママ業のリアル。泣きたくなったママはどこで泣けばいいのでしょう?

Bu facebook
Bu twitter
「ママってどうですか?」、「おかあさんっていいですか?」時々、そんな質問をされることがあります。

ママ以前の私自身は洒落たママ雑誌に完全に洗脳され、出産したその先はたいがい天国だと思い込んでいた、想像力に乏しい素人でした。

でも現実は…。

「子供の可愛さは育児の大変さに勝る」と使い古された慰めの言葉もありますが、このふたつが完全に逆転することが頻繁に起こるのです。

途方に暮れ、げっそりとやつれ、これが向こう20年は続くのだろうかとへたりこみそうになったことは数え切れません。
■予測がつかない―それが育児。どんなに仕事ができる人でも育児下手というのはよくある話
わが子は本当によく泣く子でした。黄昏泣きや夜泣きがひどいというのではなく、どちらかといえば日中に、抱っこもいや、抱っこ紐もいや、ベビーカーもベビーシートもバウンサーも電動ゆりかごも…、とにかく何もかもが気に入らないという、大変手のかかったタイプ。4歳になった今では、細かなことは忘れてしまい、すっかり過去の笑い話にできるほどになりましたが、当時は深刻でした。

どんなアイデアも段取りも思い通りに運ばないなんて、仕事上でもそう思い悩まなかった事も、こと育児となると連続して起こるのです。

出産して2週間ほどしか経っていないあるときにはこんなこともありました。

どうしようもなく泣いて、泣いて、泣き止まないわが子を抱っこするのを諦め、試しにベッドに寝かせてみたときです。枕が視界の端に入りました。

ふと頭をかすめたのは、時折、目にする、枕を覆いかぶせるなどしたという母子の悲しいニュース。

そしてこう思ったのです。「母親がわが子に手をかけたという事件って、こんな時、衝動的に起こしてしまったんじゃないか」って。直前まで我が子を愛する、普通のお母さんだったとしても起こりうることなのでは…。私はそんなこと毛頭するつもりはないし、決して許されるはずのない行為だということがじゅうじゅうわかっているけれど、彼女たちの脳内を少しだけ想像でき、ぴったりと張り付いた善悪の裏腹さに気がついてしまったのです。

育児の過酷さが母親に及ぼす可能性に恐れおののいた瞬間でした。

そのくらいママというものは切羽詰った時間“も”送る可能性があるわけで。そう考えると、冒頭の質問に「幸せだよ!」と答えてしまうのは、無責任な気がしてしまうのです。
■ママ業は苦行。ふて寝も大泣きもNG、鬱憤を(うっぷん)発散できないのがホント、しんどい!


もうひとつ、やるせないことを挙げるならば。

こうした様々な想いや鬱憤(うっぷん)を晴らすチャンスがなかなか巡ってこないということです。

子供がいなかった、以前の人生では、イライラや悩みはふて寝をしたり、泣いて発散したりするような解決方法を取ることもできました。

でも子供が目の前にいる以上、そうはいきません。

疲れていても、体調を崩していても、寝込むことすら許されないときもあります。

感情が爆発しそうになっても泣けない、これは結構、キます。

しくしくとかさめざめでは足りないし意味がなくて、わんわんと気の済むまで泣いてすっきりしたいのに、涙の一粒も堪えなくてはならない…。

想いばかりが募って、いっこうに消化できないのに、もう次々に新しい課題が山積みでてんやわんや。

泣いている暇があったら動けということなのでしょうが、このフレーズすら頭に浮かんだのはずいぶんと後になってからのことで、当初はアップアップでした。

そう、言わば苦行のようなものと言ったらいいかもしれません。

ママ業は決してきれいごとだけでは済まされないのですよね。
■やっぱりママは子供に生かされている
それでも気づけば数年が経過し、今もその道から逃げ出すことなくママを続けていられるのはなぜなのだろう?と、
少し前、NHKの朝ドラ『あさが来た』を見ながら、考えていました。

その回で、女中うめがあさの腕のなかで積年の想いを吐き出すように大泣きをしていて。

立場もあって自らすすんで本音を押し殺し、望む道より女中であることを選んだ(いたしかたない他の理由もありましたが)、うめ。とはいえ、その生き方にも幸せを見出しているようで、彼女はあさの母親ではないし、事情も異なるものの、ついもらい泣きをしてしまったんです。

明日も明後日もその次の日も同じことの繰り返しなのに、それこそが新鮮だと感じられる不思議。

生きている、暮らしているという実感。

どうしてなのでしょうね?

ママの場合、それはひとえに一瞬、一秒を絶対に逃さないようにし、これでもかというくらいに濃密に生きようとする無邪気な子供の姿によるもののように思えます。

以前、子育てをしながら人生を生き直しているような気がすると書いたことがありますが、まさにそれなのです。

私の場合、息子のとても原始的な人間らしさに日々、触発されているうちに、泣くのも忘れ、サヴァイヴして今日に至るのかもしれません。

現時点でわかることは、ママは簡単ではないということ。
ただ、いいか悪いかはそれぞれだけれど、ウマみなら間違いなくあります。泣く場所のかわりに(笑)!

〈コバヤシ アサ〉
元のサイトを見る

関連する記事

この記事のキーワード

RANKING
YESTERDAY

WHAT'S CHIENOWA?

CHIENOWA'S ORIGINAL
STAFF PICK UP