音楽で世界中の子どもたちを繋げる。子どもたちの笑顔で平和な世界へ!

音楽で世界中の子どもたちを繋げる。子どもたちの笑顔で平和な世界へ!

Bu facebook
Bu twitter

思い込みが自己肯定感を下げる

静岡県伊東市で生まれました。小学生の時にピアノを始めました。ピアノの練習は嫌いでしたね。練習をしないでレッスンに通っていたので、先生にしたら迷惑な生徒だったと思いますが、母がピアノをやめさせてくれなかったんですよ。

でも、発表会は大好きでした。発表会では、難しい曲を弾く人ほどプログラムの順番が遅くて、子ども心に「あの子難しい曲を弾いている」と言われる優越感を味わいたかったんです。なので、嫌いでしたが頑張ってはいました。また、学校の合唱コンクールや行事、市の合唱団でピアノの伴奏をしていたので、音楽は自分の一部でしたね。

両親は、そんな私を音大に進学させたいと思っていて、高校1年生の後半から本格的に音大を目指しはじめました。練習が嫌いなので、受験対策は大変でしたね。東京や静岡、地元の先生の元に毎日のようにレッスンに通ったのですが、先生によって指導方法や感性が違い、自分に合った練習方法が分からず、先生方と上手くコミュニケーションがとれなかったんです。

受験が終わってすぐに楽譜を破って捨ててしまうほど嫌でした。また、受験を通して、音楽の才能がないことにうすうす気づきはじめました。

音大に入学して、才能がある人の中にいることは、私の自己肯定感をかなり下げ、プライドを傷つけました。そのため、大学時代は音楽に打ち込むというよりも、レポーターや読者モデル、イベント関係のアルバイトをしました。アナウンサーになりたいと思った時期もありましたが、そのために必死で努力をしたかと言うとそうでもありません。本当は何がしたいのかよく分からず、20代のキラキラ輝く時期を、悶々と過ごしていましたね。

夢を成功させるのは若い時だけで、大学を卒業するまでの間に好きなことを成功させないともう夢は追えない。残りの人生は、社会人として仕事をするだけ。そんな思い込みを持っていました。音楽に希望を見つけることができないし、何をしても極めることができない。中途半端だった私は、20代で人生を諦めました。私の人生こんなものかと。

地球の回転から取り残されている自分

大学を卒業してからは親の希望もあって実家に戻り、花嫁修業をしながら、子どもにピアノを教えたり、地元のケーブルテレビでニュースを読んだりしました。ピアノを教えると、人に何かを教えることは好きなんだと自分の意外な一面を発見しました。

26歳で結婚して東京に出てからも、週に1回は地元に戻ってピアノを教えました。教えることはやめたくなかったですね。ただ、子どもが生まれてからは教えるのが難しくなり、子育てに専念するようになりました。二人の娘に恵まれ、子育ては大変でしたね。主婦は365日24時間営業。そんなことを思いながら奮闘していました。

二人の子どもを育てるのに精一杯な日々も、下の子が小学校に上がる頃には少し落ち着きました。時間ができると、今度は「私の人生はこのままでいいのかしら?」という問いが生まれました。妻という役割、母という役割である自分しかいない。ママ友とランチして、子どもの話をするだけの毎日を変えたくて、習い事に通ったり、何か仕事をしようと思って結婚式の司会の勉強もしてみました。しかし、どれもしっくりきませんでした。ワクワクしないんです。

心が満足しない。私の人生は、このまま妻であり母であること「だけ」で終わってしまうのか。もがいても何をしたいのか分からなくて、人生を再度諦めました。「自分にしかできないことをやりたい」という想いを持ち続けていたんですが、見つからなかったんです。

ずっと「地球の回転から、社会の流れから取り残されている」という感覚がありました。色で表すと、グレー、灰色でした。旦那や子どもに恵まれ幸せでしたが、何かが足りない。妻でも母でもない「自分自身」を満たしてくれるものをいつも探していました。「使命」を追い求めていたように思います。

女性が内から、外から輝くために

長女が中学3年生の時に、反抗期が来ました。どう接していいか分からず、ママ友に相談しました。その時にはじめて「コーチング」という言葉を耳にしました。それからコーチングに興味を持ち、教室に通い始めました。

ある日、コーチング講座の中で、「自分のことが好きでない」という話をすると、ある女性が「私は自分のことが大好きでたまらない」と言いました。その時、私はとても驚いて彼女の顔を見入ってしまいました。自分のことを好きってみんなの前で言ってもいいんだ、と。

それまで、「完璧でないと自分を好きになってはいけない」「人前で自分のことが好きと言ってはいけない」と勝手に思い込んでいました。日本人らしく、謙虚で控えめでなければいけない。いいお母さん、いい妻でいて、音楽に対しても完璧でなければいけない。そんな思い込みがあるので、完璧でない自分に対して自己肯定感が低かったんですね。

それが、コーチングを始めて、その女性の言葉を聞き、「いいところも悪いところも全部含めて、自分を好きになればいいんだ」ということが分かり、随分楽になりました。それまで自分を責めていたことがかわいそうだし、自分を好きでなかった時間がすごくもったいないと感じました。完璧な人なんていないのに、幻想を追い求めていたと。

その時、母親が元気になれば、子どもも自然と元気になることに気づきましたね。それから、元気なお母さんや輝く女性を増やしたいと思うようになりました。

人は生まれ育った環境や両親の性格、体験したことによって、それぞれ制限的な思考や思い込みを持っています。その結果、私みたいに自己肯定感を低くしてしまったり、何かをしたくても一歩踏み出せない人がいるわけじゃないですか。そういう人の背中を押してあげたくなったんです。

しばらくカルチャースクールで講師をしたり、地元の方々や企業にコーチングを伝えたりしていると、次第に、女性が輝くためのスペースを自分で作りたくなりました。女性がありのままの自分を認められ、内面、外面の両面から輝くためのプログラムを提供するためのスペースです。

そんな想いを実現するため、プライベートサロンをオープンすることにしました。輝く女性を増やそう。探し続けていた「やりたいこと」が、やっと見つかったんです。

途上国の子どもに音楽を届けたい

ところが、そのプライベートサロンのオープンまで後3日という時、転機が訪れました。

2013年10月23日の午前9時過ぎのことです。家で出かけるためにお化粧をしていると、急に頭の中に黒人の男の子の顔が浮かんできたんです。「この子たちに音楽を届けたい、子どもたちの笑顔がみたい」という想いが湧いてきて、これをやったら死んでもいいというか、「これをやらないと死ねない」という気持ちになりました。自然と涙まで流れてきたんです。もしかして、これが私が探し求めていた使命かもしれない。理屈ではなく、感覚的にそんな衝撃が身体に走りました。

私は特に子どもに興味があったわけでもなく、黒人の男の子に会ったこともありませんでした。ましてや、途上国に行ったことも、行きたいとも思ったこともありません。感覚的には使命だと気づいているのですが、そんな気持ちをしばらくは受け入れることができませんでした。

ただ、思い返してみると、数年前にコンサートに行った時に、「こんな綺麗な音色を聞いたことのない子どもたちに聞かせてあげたいな」と思ったことはありました。それが頭の中に残っていたのかもしれません。

長年探し続けていた「自分にしかできない何か」はこれだったのか。心が喜ぶ「何か」は、世界の子どもたちに音楽を届けることだったのか。ただただ茫然とする中で「これをやるんだろうな」と、確かな感覚がありました。

何をすればいいかは分かりませんでしたが、スタディーツアーに参加してカンボジアの孤児院に行ってみたり、会う人と会う人にやりたいことの話をしたりと、とにかく動きました。人と話す中で自分のやりたいことを言葉にすると、漠然としていた方向性が明確になっていきましたね。

また、人に話をすることでご縁もつながりました。最初のご縁がプロバイオリニストの細谷美佐緒さんです。細谷さんは私の話をじっくりと聞き共感してくれ、「どこまでも着いていきます」と言ってくれたんです。プロのバイオリニストが何の実績のない無名の私と一緒に途上国に行ってくれるなんて思ってもみなかっただけに、嬉しかったですね。本当に嬉しかったです。

タイのチェンライ、そしてウガンダへ

細谷さんと知り合って1年後の2015年3月に、タイ北部のチェンライの子どもたちに音楽を届けることができました。タイに向けて飛行機が離陸するとき、嬉しくて涙が出ました。隣を見ると、細谷さんの目にも涙が浮かんでいました。本当に音楽を届けることができるんだ、夢の一歩が叶うんだ、と。

チェンライでは、現地の高校の卒業式で1000人の前で演奏しました。演奏が始まると「わー」と歓声が上がりました。舞台の上では細谷さんがバイオリンを弾き、舞台の下では私がピアノを弾いたのですが、お互いの音が聞こえないくらいの歓声で、喜んでもらえているのが伝わってきましたね。

他にも、少数民族アカ族の村の広場で、100名ほどの村人を前に演奏させてもらいました。元々、子どもからお年寄りまで色々な世代の人たちが集まる場所で演奏したいと思っていただけに、嬉しかったですね。演奏が終わった後、おばあちゃんが私たちのところに来て、「涙が出た、感動した」とハグをしてくれました。音楽は国境を超えてつながる。まさにそう感じた瞬間でした。

2016年3月には、ウガンダに行って音楽交流をしました。新しくサウンドアーティストの金原雅子さんが加わり、エイズで親を失った子どもたちがいる学校などを訪問して、楽器に触ってもらったり、子どもたちの歌をレコーディングしました。子どもたちはとても喜んでくれました。音楽交流の後、「ミュージシャンになりたい人?」と先生が訪ねたら、みんなが「はーい」と手を挙げてくれました。子どもたちが初めてのものに触れた瞬間の表情がたまりませんでした。まるで新しい可能性への扉が今、目の前で開かれたといった印象を持ちました。遠いウガンダまで来て良かったと心から思いました。

ワクワクは神様からの贈り物

現在はHeart&EarthというNPO法人を主宰しています。色々な国に行って、子どもたちに音楽を届け、訪れた国の子どもたち同士をつなげていきたいと考えています。特に、孤児院などを中心に回ろうと考えています。子どもの可能性を引き出すべき存在である親がいない子どもたちに音楽を届け、可能性を引き出したいですね。

音楽で世界の子どもたちをつなげる活動を「音楽届け隊」と呼んでいるのですが、他にも、遊びを通して子どもたちの生まれ持った才能を引き出すための自立支援「遊び隊」もしていきたいと考えています。

若い時には失ってしまった夢が、今はたくさんあります。現在進行中なのがHeart&Earthのテーマソングづくりです。金原さんが作詞作曲した曲を日本の子どもや私たちが訪れた国の子どもたちに歌ってもらい、子どもたちの歌声を一つにつなげた曲を制作中なんです。ウガンダの子どもたちの歌声もレコーディングしましたし、今度は東北の子どもたちの歌声を録音予定です。

他にも、船で世界中の子どもが交流できる場所を作ったり、花火と生演奏のコラボを子どもたちと一緒に見たり、スタジアムで大合唱したり、やりたいことがいっぱいあります。その交流イベントが50年後、100年後の未来を担う子供たちが仲良くなるための役に立てば嬉しいですね。

できる、できないに捕らわれずに、やりたいことだけを追い求めたいと思っています。ワクワクした気持ちが私の原動力です。勇気を出して行動すると、行動した以上の贈り物をもらえることもあります。とにかくワクワクを感じることはやってみたいです。やってみないと、わからないですからね。逆に、苦手なこと、やりたくないことはしないと決めています。

人には生まれ持った役割というか才能があります。その才能に子どもの頃に気づけば、自分が輝くための人生設計することができます。未来を担う子どもたちには、早いうちに自分の生まれ持った才能に気づき、幸せになってほしいですね。

私自身、正直いえば、「もっと早く自分の使命を見つけたかった」という気持ちはあります。その一方、10年早かったら子育中で今のように自由に動けなかったと思うと、今がまさにベストのタイミングなのかもしれません。若い時に夢を諦めた私でしたが、人生何歳からでも遅くない、全てが繋がっていると感じます。私は自分のやりたいことを見つけた今の自分が一番好きです。

今までの人生を振り返ってみても、今必要なことは、若い時に経験していました。音楽もコーチングも、全てが今の活動に活きています。無駄なことなんてひとつもない、必要な物はすでに持っているんですね。

これからも、音楽で世界の子どもたちをつなげ、子どもたちの生まれ持った才能を活かすためのサポートをしていきます。未来を担う子どもたちが笑顔でいることは、平和な世界につながっていきます。子どもたちをつなげることは、国と国をつなげること。音楽を通して、世界中の子どもたちが笑顔で暮らせる未来のため活動していきます。

元のサイトを見る

関連する記事

この記事のキーワード

RANKING
YESTERDAY

WHAT'S CHIENOWA?

CHIENOWA'S ORIGINAL
STAFF PICK UP