「夢を目指す子どもにはノーよりイエスを」Jリーガー佐藤勇人選手が語る家族と子育て

「夢を目指す子どもにはノーよりイエスを」Jリーガー佐藤勇人選手が語る家族と子育て

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1月17日、海浜幕張に昨年末オープンしたZOZOPARK HONDA FOOTBALL AREAにて、親子で参加できるサッカー教室が開催される。この日はJリーガーも参加予定で、このたび惜しまれつつ現役を引退した浦和レッドダイヤモンズの鈴木啓太選手、そして、ジェフユナイテッド市原・千葉からは昨年のJリーグチャンピオン・サンフレッチェ広島で歴代最多得点記録に並んだ佐藤寿人選手の双子の兄である佐藤勇人選手が参加することになっている(予定)。

勇人選手は小学校1年生から本格的にサッカーを始め、寿人選手と共に二人三脚でプロを目指し、中学生になるとジェフユナイテッド市原のジュニアユースに加入。その後、ユース、トップチームと順調に昇格していったように見えるが、実際には多くの困難と向き合い、挫折を経験してきた。そして、それを乗り越える上での大きな支えになったのが、両親の全面的なバックアップだったという。現在は2児の父親でもある勇人選手に、サッカーから学んだコミュニケーションの重要性について語ってもらった。

取材・文:金子厚武 撮影:豊島望
プロフィール

佐藤勇人(さとう ゆうと)
1982年生まれ。埼玉県出身。小学校時代は大増サンライズFCに、中学、高校とジェフユナイテッド市原に所属し、2000年からプロへ。Jリーグを代表するボランチへと飛躍し、2007年にはキャプテンに就任。その後、京都サンガF.C.に1年間在籍。2010年からはジェフユナイテッド市原・千葉に古巣復帰を果たす。また、2006年にはアジアカップ予選に双子の弟、寿人選手と共に出場。「日本代表史上初の双子プレイヤー」として、注目を浴びた。2008年に結婚し、現在は2人の子どもの父親でもある。昨年12月に、自身がプロデュースした「ケアラボ・Body Careスタジオ千葉店」が蘇我にオープン。
http://jefunited.co.jp/
http://carelab.co.jp/
プロは甘くない。それでも二人が目指すなら全力でサポートしようと、両親は決めたようです。
―勇人選手は小学校1年生のときにサッカーを始めたそうですね。

勇人:近所にあった募集の貼り紙を見て、当時住んでいた埼玉県春日部市のサッカーチーム(大増サンライズFC)に入りました。自分はそこまで強い気持ちはなかったんですけど、寿人がサッカーをやりたがるので「それなら、お前も行って来い」と両親に勧められて。昔から父親と三人でボールを蹴っていたし、サッカー自体は好きだったので寿人がやるなら自分もやろうという感じでしたね。
―兄弟で遊んでいたのがサッカー選手としての原点だと。

勇人:そうですね。それまでは自分と寿人の小さな世界だったのが、チームに入ったことでいろんな人とサッカーをする楽しさを知りました。加入前にお試しで練習に参加して、その帰り道には「自分も入りたい」と思った覚えがあります。
―中学生になると埼玉から千葉に引っ越しをして、ジェフユナイテッド市原のジュニアユースに入られていますね。

勇人:自分で言うのもなんですけど、小学校高学年になると、僕らはチームの中で頭一つ抜けた存在になっていたんです。ちょうどその頃にJリーグが誕生して、「サッカー選手になりたい」という想いが強くなっていたので、地元の中学校でサッカーをやることにメリットがあるのかを父親を交えてすごく考えました。中学校の部活だと1年生のうちは球拾いとかだろうから、Jリーグの下部組織に入る方がいいんじゃないかって話になり、父親がものすごくいろいろ調べてくれたんです。

―埼玉には浦和レッズがありますが、なぜジェフを選んだのでしょう?

勇人:当時のレッズは強くなかったですし、まだ中高生の育成にそんなに力を入れてなくて、逆に一番力を入れていたチームがジェフでした。そういうことも父親が全部調べて、段取りを組んでくれて、自分と寿人はただテストを受けに行っただけなんですけど。
―しかもお父さんがクラブに頼んで、セレクション(選考試験)を前倒しで受けさせてもらったそうですね。

勇人:そうなんです。通常のセレクションって、当時300〜500人くらい受けて、30人受かるか受からないかの世界で、なかなか一人ひとりを細かく見るのは難しかったと思うんですよ。うちの父親はそれを感じて、なるべく自分たちのことをしっかり見てもらえるように、少し前倒しで受けさせてもらったみたいです。
―ご両親のバックアップがかなり大きかったんですね。

勇人:そうですね。父親はもちろん、母親も影ですごく支えてくれました。ただ、プロになってから聞いたんですけど、「ホントにプロになれるとは思ってなかった」と言われましたね。「プロはそんなに甘いもんじゃない」とわかっていて、それでも「二人がプロを目指したいのであれば、全力でサポートしよう」と、両親で話し合って決めたそうです。高校生のときに夜中、両親が「生活は厳しいけど、あいつらがサッカーできるだけのお金はどうにかしないと」って話しているのを聞いちゃったことがあるんですよ。その頃はまだ子どもでしたし、とにかくサッカーに明け暮れていたけど、プロになった今振り返ると、ホントに両親には感謝の言葉しかないですね。
―ジュニアユースに入る際、ご両親は埼玉で営業していたラーメン屋を畳んで千葉に引っ越してきたんですよね?

勇人:いやもう、リスクあり過ぎですよね(笑)。父親は千葉に来てから会社に就職したんですけど、サラリーマンはやったことがない人だったので、年下の上司に頭下げたりとか、かなり苦労したという話を母親から聞きました。今自分たちが父親になって、「うちの両親がしてくれたことを、自分の子どもにできるかな?」と、よく寿人と話しますね。プロになんてなれないと思いながら、それでもそこに向かって送り出すのは相当の覚悟だなって。
―結果的にはお二人ともプロになったわけですが、その過程で得るものこそが大切だという考えもきっとあったのではないかと思います。

勇人:そうですね。夢が叶うか叶わないかは関係なく、子ども達がやりたいと思うことは全力でサポートしようって。まあ、サポートし過ぎて家計が苦しくなったこともあったみたいですけど(笑)。

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