親友の他界が僕の人生を変えた。総合商社を辞め、技術ベンチャーを起業。

親友の他界が僕の人生を変えた。総合商社を辞め、技術ベンチャーを起業。

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野球漬けの日々

大阪府で生まれ、奈良県北葛城郡で育ちました。法隆寺がある町の隣町です。活発で目立ちたがり屋な性格で、授業中には手を挙げたかと思えばボケたりして、人を笑わせるのが好きな子供でした。

小学2年生の時に野球を始めました。中学も野球部で、県大会では準優勝。高校はいわゆる野球の強豪校ではなく、兄が通っていて楽しいと聞いていた公立高校を選びました。

高校でも野球に打ち込み、甲子園を目指して3年間野球漬けでした。キャプテンでしたが、個人的にもチームとしても全く良い戦績が残せず「やりきった」という感覚を持てませんでした。大学は野球の強いところにしようと考え、国立ながらに大学野球の一部リーグに所属している神戸大学を目指しました。

高校3年の学内模試で最下位になったぐらい成績が悪かったので、必死に受験勉強をしましたよ。一浪の末、神戸大学工学部に合格しました。

意気揚々と硬式野球部に入ったのですが、後にプロ野球選手になった選手がいるぐらい部員は上手い選手ばかり。僕は肘を手術して1年ほど棒に振ったこともあり、野球人生で初めての補欠でした。結局、練習練習の日々で野球一色。レギュラーではなかったですが、とても楽しく充実していましたね。

大学卒業後は、インフラを作るような大きな仕事をしたかったので、機械メーカーに入社し、希望通り電力プラント設計の部署にエンジニアとして配属されました。

入社して2日目に、TOEICを会社で受けました。結果は300点半ば。入社前から仲良くしていた同期は、800点を超えていました。「すごいな。なんでそんなに点ええの?」と聞くと、「勉強したに決まってるやん」とサラッと返ってきました。

よく一緒に遊んでいた同期だったので、僕にとっては衝撃の一言でした。遊んでいるように見えても、できる奴は努力している。社会人になってからも勉強せなあかんなと。

それから、仕事後や休日は家でひたすら英語や技術を勉強。その結果、数年かかりましたが僕のTOEICも800点を超えるようになりました。

メーカー技術者から海外営業の商社マンへ

技術者の仕事は学ぶことが多く、厳しいながらも充実していました。しかし、働くうちに、技術者や職人の待遇に疑問を感じるようになりました。

私が勤めていた会社だけでなく、メーカーには高卒や高専卒の技術者が多くいます。経験豊富な彼らは本当に高い技術を持っているのですが、彼らの給料は大卒以上の社員と比べ高いとは言えません。彼らはもっと評価されるべき。おかしいと感じるようになりました。僕自身の給料も、マスコミや外資系企業等に入社した大学の同級生と比べると全く良くなかったので、技術者全体の評価が低いのではと思いました。

仕事内容に対しても、気持ちの変化が出始めました。僕の仕事は電力プラントの設計でしたが、担当できる設計は、大きなプロジェクトの一部でしかありません。次第に、プロジェクト全体に関われる仕事をしたいと思い始めました。

さらに、英語をコツコツ勉強していたこともあり、同期の中では早い時期から海外出張に行っていました。徐々にもっと海外案件に関わりたいと思うようにもなりました。

そんな時、総合商社の求人情報を見つけ、転職を決意しました。商社なら海外プロジェクト全体を回す仕事ができると思ったんです。入社4年目でした。

転職先では、石油ガス掘削で使われる鉄鋼製品を輸出する仕事をしました。海外を飛び回り、最前線の営業マンとしてプロジェクトを進める仕事ができて充実していましたね。

人生はほんまに短い

仕事も順調だった32歳の時、突然仕事中に高校時代の友人から電話がありました。出てみると、親友が急死した報せでした。亡くなったのは高校時代から一番仲の良かった親友。真面目な熱い奴でしたが、数年前から仕事のストレスで強いうつ病になっていました。

人はうつ病になると免疫力が下がって、風邪でもすごく長引くようになります。彼は、風邪が治らず薬を飲み過ぎた影響で、心不全になって亡くなりました。彼は入籍をしたばかりで、結婚式を12日後に控えての他界。本当に悲劇でした。

一番の親友だったので、三日三晩涙が止まりませんでした。もっと一緒にアホな話をしたり、笑ったりしたかった。彼に話したいこと、相談したいことはまだまだいっぱいありました。

親友への想いは限りがありませんが、悲しいと同時に、「人生って短いんや」ということを痛感しました。今まであまり考えたことがない「人生は短い」という事実を、強烈に突きつけられたんです。自分もいつ死ぬか分からへん。それなら、やりたいこと、自分が正しいと思うことをシンプルに全力でやる人生にしたい。そう思いました。

もちろん、会社のために人生の時間を使うのも素晴らしいことだと思います。ですが、サラリーマンをしていると、やりたいことがあっても会社の理念や色々な人の考え方があって、根回しや意見調整だけで時間がかかり、やりたいことの実現に数年かかることだってあります。その数年の間に、死ぬかもしれない。人生の時間が限られているのであれば、シンプルに自分のやりたいこと、正しいと思うことに直進する生き方の方がええと思ったんです。

では、自分は何をしたいのか。人生を深く考え直しました。僕は20代前半から、いつかは起業したいと漠然と考えていました。何度か起業しようとしたこともありましたが、結局は会社員の安定した生活を捨て切れずにいました。しかし、この親友の死に直面し、人生は短いと悟り、くすぶっていた起業への挑戦を実行しようと思うようになりました。

とはいえ、会社を辞めない理由を探せば、十個でも百個でも出てくるような状況でした。会社の仕事に不満はなく、むしろ充実感がありました。待遇も良いし、社会的な安心感もある。海外駐在の話もありました。

逆に、起業が成功するという保証はどこにもありません。それでも、会社で働き続けるよりも、「人生は短い」という事実を突きつけられた僕にとっては、シンプルに生きることの方が価値が大きい。

妻の理解は得られませんでした。「具体的に何をするの。どうやって家族を養うの」という質問に、答えられなかったんです。そりゃ妻もイエスとは言いませんよね。当たり前だと思います。

一番は企業理念 技術の力で笑顔を生み出す事業を

それでも会社を興すことは考え続けました。妻の理解を得られた時のために、色々と構想しました。

初めは、ずっとビジネスプランを練り上げていました。どんなビジネスが上手くいくか、かなりの時間を使って検討しました。でも、検討すればするほど、ちょっと違うなと感じたんです。

商社でいくつも新しいビジネスにチャレンジする中で、ビジネスというのは上手くいく方が少ないと体験してきました。ですので、ひとつのビジネスプランを長い時間かけて考えるよりも、どんどんやってみることが大事。時代とお客様のニーズによって事業内容は変わるものだと思うんです。

だから、起業において一番大事なのは、事業内容よりも、ビジョン、理念だと考えています。会社の理念はずっと変わらないもの。まずは理念を決めることにしました。

考え続けた中で決めた会社の理念は、「技術を活かしてお客様と関係者を笑顔にすること」「自発的に自由にいきいきと働くこと」このふたつでした。

技術系の会社にするというのはメーカーや商社で働いた経験から来ています。

商社に入り世界中で営業活動をして、日本製品が売れなくなる状況を目の当たりにしました。中国、インドなどの新興メーカーがどんどん市場を奪っていく。その状況をひっくり返すには、大きなイノベーションを日本企業が起こすしかない。そんなイノベーションを起こせる会社を目指したいと思いました。

また、商社は、自社で技術を持たず、商売をする時はメーカーに物を作ってもらいます。メーカーに作れないと言われたら、どうしようもなくなってしまいます。その経験から、人生を賭けて起業する会社が他者に命運を握られるのは避けないといけない、と考えました。なので、自社で技術を持つ方針としました。

さらに、技術者の待遇を良くしたいという思いもありました。技術系の会社にして、社員に良い待遇を提供したい。この考えは、メーカーで働いた時に感じた疑問から来ています。

理念と方向性が定まり、会社を辞めることへの妻の理解を得られたのは、親友の死に直面し独立しようと決めてから2年ほど経った時でした。営業マンとして世界中の様々なお客さんと交渉をしてきましたが、正直、どんな交渉よりも妻とのこの交渉が一番のハードネゴでしたね。最終的に背中を押してくれた妻には本当に感謝しています。

妻の理解を得られてすぐに会社を辞めました。事業もアイデアも技術力も人脈も資金もなく仲間もいない、理念しかない状況でしたが、迷いはありませんでした。

技術系のベンチャーにするので、まずは自分の技術者としてのブランクを取り戻そうと、学校に通うことにしました。その時僕は34歳。周りからは今さら技術を勉強しなおすなんて遅過ぎると言われましたが、僕は気にしませんでした。自分がやりたいことを愚直にやるのみと決めていたので。

入学したのは夜間の社会人向けの大学院です。データ解析の技術を中心に学びました。大学院では、学生5人でプロジェクトチームを組んで研究を進めました。みんな仕事後の疲れた体ながらも夜な夜な集まり研究活動をします。深夜まで白熱した議論をしましたね。

研究チームのメンバーは、職場のストレスに対し関心を持っていました。社会人経験があったので、ストレス過多の労働環境に問題意識があったんですね。僕にとっても、親友の他界があったので何とかしたいと強く思っている分野です。

チームでの研究テーマを、体温、心拍、活動量といった生体データを解析して、人のストレス状態を可視化するということにしました。ストレスを定量化できれば、ストレス過多な人を助けられる可能性があると考えたんです。事業化を見据え、率先して研究活動のために動き回りました。

しかし、研究を進める内に、事業化への壁を感じました。解析の技術はあっても、人脈やそれを形にするIT技術があるわけではありませんでした。事業化に向けて乗り越えるべきハードルが無数にあり、サポートが必要でした。

スタートアップ企業の支援を必死で探したところ、IBM BlueHubというスタートアップ支援プログラムを知りました。藁にもすがる思いで申し込みましたよ。

IBM BlueHubの選考に通ったタイミングで会社を立ち上げました。高校時代の野球部の友人に顧問税理士になってもらうなどして、多くの人に支えられ株式会社テクニコルを創業しました。

シンプルに全力で生きる

現在は、生体データを解析して、人のストレス状態を把握するアルゴリズムを開発しています。生体データは、現段階ではスマートウォッチなどのウェアラブルデバイスを使って集めていますが、私たちの特徴は、デバイスに依存していない点です。生体データが取れればいいので、特定のウェアラブルデバイスに縛られないように技術開発をしています。

従来の研究でも、ストレス状態は分かりますが、私たちの研究は少し違います。ストレス状態の中でも、「良いストレス状態=物事に熱中し、没頭している」「悪いストレス状態=精神的に良くない負担がかかっている」という違いを把握できるんです。

この技術の使い方は色々あって、子どもが熱中している状態かどうかを計測すれば教育に活かせますし、病気の兆候を検知できる可能性もあります。パートナー企業と組んで、色々な分野にこの技術を使おうとしています。

分野を広げながらも、職場におけるメンタルヘルスの問題を解消することを、事業の中心に置きたいと思っています。

最終的にはストレス状態を解析することでうつ病等を早期に発見できるようなシステムにするのが理想です。僕の親友も、早期にうつ病を検知し、対策できていれば、他界せずに済んだかもしれません。この技術があれば、多くのオフィスで、メンタル疾患患者を早期に発見できる可能性もあります。その実現に向けて頑張ります。

会社を辞めて独立して、今、毎日が楽しいですね。仕事と趣味の境目がなく、常に好きなことをやっている感覚です。これからも、会社の理念を達成するために、自分の気持ちに従ってシンプルに全力で突っ走ります。

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