糸井重里が考える、理想の働き方ってなんだ?「正しさより面白さを」【前編】

糸井重里が考える、理想の働き方ってなんだ?「正しさより面白さを」【前編】

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1980年代、西武百貨店の「不思議、大好き。」や「おいしい生活。」といったキャッチコピーが一世を風靡したと言われる時代がありました。このコピーを生み出したのは、『ほぼ日刊イトイ新聞』の主宰を務める糸井重里さん。セゾングループが若者文化やアートとの協調を掲げ、文化的なライフスタイルを牽引していた「セゾン文化」を知る一人です。

時は2016年、消費や暮らしの価値観も変化した今、かつてセゾングループの一員だったクレディセゾンは、「幸せな『働き方』と『暮らし方』がこれからの文化を作る」という考えのもと、本サイト「SAISON CHIENOWA」を発足しました。新しい文化は創造できるのか? これからの時代の豊かな働き方、暮らし方とは一体どんなものなのか? 「SAISON CHIENOWA」の運営に携わるメンバーとクレディセゾン社員が、東京糸井重里事務所のみなさんとともに、糸井さんにじっくりお話をうかがいました。

取材:廣田周作(SAISON CHIENOWA) 構成:タナカヒロシ 撮影:菱沼勇夫
プロフィール

糸井重里(いとい しげさと)
1948年生まれ。群馬県出身。「ほぼ日刊イトイ新聞」主宰。コピーライター、エッセイスト、作詞家など多彩な分野で活躍。西武百貨店の「不思議、大好き。」「おいしい生活。」などのキャッチコピーを生み出す。98年にwebサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」を開設。2012年には、独自の価値観を生み出すユニークな企業運営が評価され、株式会社東京糸井重里事務所としてポーター賞を受賞。
ほぼ日刊イトイ新聞|http://www.1101.com/
(セゾン文化というのは)西武百貨店という小さな所帯をどうやってそれなりのものにしていくか? という、ある種の成り上がり物語だったんです。
―今回は、「セゾン文化」の最初期に携わっていた糸井さんにお話をうかがいたいと思います。かつては「大量に消費すること」が文化を作っていたわけですが、今はそう簡単にモノを買う時代ではないですよね。それよりも企業は、人が喜ぶことをやったり、自分たちの楽しい働き方や暮らし方を作ったりすることが大事なのではと感じていて、そのあたりを糸井さんにお聞きしたいと思います。

糸井:さぁ、大変だ(笑)。

―(笑)。当時のセゾングループのことを、糸井さんはどんな会社だと思っていましたか?

糸井:もはや僕は明治時代を語るおじいさんみたいなものですよね。つまり、歴史は因果関係をきれいに整理して伝えられていくけど、「セゾン文化」に対しても「本当に評価されている通りなのかな?」っていう気持ちがあって、見る人、見る角度によって全然違うと思うんです。

―世の中で語られている「セゾン文化」とはまた違った面があると。是非、その視点からお話をうかがいたいです。

糸井:僕がセゾングループの仕事を始めたのは30歳前後で、正直言ってガキだったんです。僕は広告の世界で「中央競馬」の人じゃなくて、「地方競馬」の人なんですよ。

―地方競馬ですか?

糸井:はい。僕は、日本橋横山町の問屋街にある会社の社長に会いに行ったら、そこにいたおじさんが社長だった、みたいなところから仕事を始めているんです。だから、いわゆるナショナルブランドの広告をやることは、人生設計にありませんでした。よく「あの頃の西武の広告は一世を風靡して」のようなことを語られますが、あの頃の西武はデパートとしては小さかったと思います。たぶん、当時「おいしい生活。」のCMを見た人はほとんどいないんじゃないですか? まだメディアをそんなに買えなかったはずですから。

―そうなんですか。僕は今35歳なんですけど、そのコピーは伝説として語られています。

糸井:そのときの西武は「長靴を履いて入れる池袋のデパート」というイメージで、エスタブリッシュメントの象徴だった三越に対して、田舎侍のような立ち位置だったと思うんです。西武グループの本体は、堤清二さん(実業家、小説家。西武グループの創業者堤康次郎の息子)の弟さんである義明さんが継がれていて、清ニさんは西武百貨店というデパートひとつでスタートされたから、小さな所帯をそれなりのものにしていくという、ある種の成り上がり物語じゃないでしょうか。そのときに僕のような地方競馬出身の男が出てきて、「こいつにやらせてみましょうか」ということになった。うれしかったけど、僕も田舎から出てきたペーペーですし、世の中は三越・伊勢丹・髙島屋の時代でしたから、西武百貨店は変わったことをやって伸びていかないといけなかったんだと思います。
違った意見をぶつけて、発展させて、新しい考え方を作る。「セゾン文化」が生まれたのはそんな時代でした。
―それで、他ではやっていないことをやろうとしたわけですね。

糸井:ただ、その変わったことのなかに「質感」がないと嫌なのが堤さんの面白さですよね。ユニクロが昔、伸び盛りの頃に、おばちゃんを起用したCMをやっていましたよね。

―レジの前でおばちゃんが服を脱ぐCMですね。

糸井:はい。あれは、たぶんキンチョールみたいな路線で伸びてくことを考えていたと思うんです。でも、値段の安い商品であっても、インテリジェンスやファッション性を付加して売ったほうがいいというプレゼンを、外資系の広告会社がやったわけです。それで実際、そっちが当たったんですよね。その外資系の広告会社がユニクロの社長の柳井正さんにプレゼンしたとき、このままじゃユニクロはダメになると思っていたのではないでしょうか。あの頃の西武百貨店も同じ路線になっていた可能性もあったのを、堤さんは若くてインテリジェンスのある人たちを味方につけて、エスタブリッシュメントに対抗しようと考えたんだと思います。

―当時は若くてインテリジェンスな百貨店に見せたいということが、明快に共有されていたんですか?

糸井:その言葉では語られていませんが、「そう考えているにちがいない」と思える人ばかり集めているわけです。だから、渋谷西武の一部をファッションカプセルみたいなコンセプトにして、前衛的な演劇の人たちや横尾忠則さんを呼んで、「なにこれ!?」って思わせるようなことをやってました。

―なるほど。

糸井:堤さんはその後にパルコを作りましたよね。パルコのことをみんなお店だと思ってますけど、あれはメディアです。メディアの店構えを、建築費と同じように広告に投下しているわけです。そして当時西武百貨店で働いていた増田通二さんという自分のライバルをパルコのトップにすえることで、結果的に「増田め!」となるような状況をあえて作って、増田さんからは「堤さんにはわからないんですよ」って言われる。もともと堤さんは、ずっとアウフヘーベン(二つの相反するものを互いに否定しつつも活かし、より高いレベルで統一して解決すること。哲学者ヘーゲルが提唱した概念)したいという発想があったと思います。違った意見同士をぶつけて、発展させて、新しい考え方を作っていく。「セゾン文化」が生まれたのは、そんな時代だったと思うんです。

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