自閉症児の母である私にも…「よその障害者」への”壁”に気づいた瞬間

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療育帰りの長男を待つバス停で、話しかけてきた少女

3年前、バスで療育から帰ってくる長男を待っていたときのことです。私と次男は、同じ施設に通う子のお母さんと3人でバス停で立ち話をしていました。

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そこへ一人の少女が近づいてきました。

少女は中学生くらいでしょうか――私たちに向かって話しかけようとしているのに、目はどこか遠くを見て小さな体をぶるぶると震わせています。特別支援学校の制服を着ているその少女は知的障害があるようでした。

彼女の額には汗がにじんで、ひどく焦っているように見えました。ぎゅっと結んだ手の中には何かが握られている様子……。

彼女は私達のそばに来ると握った拳を開きました。

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少女が拾った落し物に困惑

見るとその手のひらには、小さなカラーゴムが乗っていました。

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おそらく子どもが落としたものでしょう。ラメが入っているのかキラキラと光っていますが、人の足に何度も踏まれたのか全体に汚れ、古ぼけていました。

彼女は一生懸命言葉を探すように、ゆっくり、ゆっくりした口調で言いました。

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こんなものを……とっさに私は言葉に詰まり、何と返していいかわかりませんでした。

金銭の入った財布ではないし、真新しい手袋や綺麗なハンカチですらない。カラーゴム一つを落し物として持って行ったって、おまわりさんが相手にするはずがないでしょう。

そして私自身、古びたゴムを宝物のように扱う彼女に「かわいそうに……。この子は交番に持っていくものとそうでないものの区別がつかないんだな」という同情を感じました。

そのくせおまわりさんが「そんなもの持ってくる必要ないよ」と心無い一言をもしこの子にかけたなら、この子はひどく傷つくだろう、そんな傲慢な心配まで頭をよぎりました。

知的障害の人たちに対して、かわいそう、という上から目線の感情が自分の中にありながら、一方で他者がその人たちを傷つけることに憤るという矛盾したものが存在していたのです。

「届けなくていいよ」と言おうと思った瞬間、一緒にいたママ友は

「届けなくていいよ、そのまま地面に置いたままでいいんだよ」出来るだけ優しい口調で言ってこの場をしのごうかと思った時です。一緒にいたお母さんが、すっと手を差し出したのです。

そして彼女が握り締めたカラーゴムを、壊れ物を扱うようにそっと受け取ったのです。そして優しい口調で言いました。

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私達は市役所前のバス停で話していたのです。そのお母さんは「必ず届けるからね。安心してね」とにこっと笑いかけました。それを聞いた少女はほっとしたようにこわばっていた表情を崩し、笑顔で何度も頭を下げて走り去って行きました。

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一部始終を見ていた5歳の次男も、「ゴム落とした人早く見つかるといいね」そう言ってニコニコと私に微笑みかけました。この時私は、親として恥ずかしい姿をわが子に見せなくて良かったと思いました。

「障害は一人ひとりの個性」そう思ってきたはずなのに、残っていた哀れむ気持ち

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出典 : http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=10272000563

もし私が「そのまま地面においておけばいいよ」と少女に言ったなら、どうなっていたか。

少女はこのゴムは取るに足らないものなんだと恥ずかしく思ったかもしれません。勇気をふり絞って話しかけたのに突き放された気持ちがしたかもしれません。私自身が彼女の優しい心を傷つける当事者になるところだったのです。

彼女にとって、地面に落とされたものが財布であれ古いカラーゴムであれそんなものは関係なく、失くした人が困っているだろうと必死な思いで私達に託そうとしたのです。その思いを汲み取らず、次男の前で、長男と同じ知的障害のある少女の優しい心を置き去りにしようとしたことは本当に恥ずかしいことだと思いました。

わが子の自閉症が分かってから特に、障害は一人ひとりの個性であり決して恥ずかしいことではない、そう思ってきました。けれど自分の中にもやはり、障害のある子を哀れむ気持ちが残っていたことに気付かされたのです。

あの時、少女に話しかけられ、とっさに言葉につまった私とは対照的に、一緒にいたお母さんはとても自然でした。当たり前に人として訊ねられたことに人として向き合って答えた、ただそれだけのことだったのです。ただそれだけのことがいかに大変なことか。

障害者への偏見をなくそう、障害者と健常者の垣根をなくそう、そのことを意識した時点で、私の心の中にすでに大きな壁をつくっていた……。そのことに気付かされたできごとでした。

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