私が「がん」になるとは思わなかった。いま周囲の人にちゃんと伝えたいこと

私が「がん」になるとは思わなかった。いま周囲の人にちゃんと伝えたいこと

2018年7月30日

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1981年以降、日本人の死因率第1位の疾病として多くの人々を苦しめてきた「がん」。2人に1人ががんになるといわれており、多くの人にとって身近にある病気でありながらも、患者さんに対する正しい心のケアへの理解は進んでいません。今回は2016年2月にがん宣告を受けたCHIENOWA編集部の志賀裕美が、闘病生活の模様を書き綴ります。がんとの向き合い方、そして、闘病生活を通じて思い至ったがん患者を支える周囲の方々に理解してほしいこととは?

文:志賀 裕美(CHIENOWA)

私の日常を大きく変えた突然のがん宣告
2016年2月。私は、自分の身体の異変に気がついた。それまでも体調不良を感じることはあったものの、このときは「年齢のせいかな」「働きすぎかな」のレベルを超えていた。慌てて病院へ行ったところ、すぐに専門の病院へ行くようにと、がん研有明病院を紹介された。がんである可能性が高いという事実を、いきなり突きつけられたのだ。

「がん……って、何だ? とりあえず、ちゃんと診てもらわないといけないんだな」

どこか他人事のような感想だが、診断結果を現実として捉えないよう、無意識のうちに脳が働きかけていたように思う。次の日、さっそく紹介されたがん研有明病院へ。その日の検査である程度の状況はわかったものの、後日行うPET検診(がん細胞の早期発見のために用いられる検査方法)で、初めて病状がわかるそうだ。「治療方針もPET検診を受けてから決定するんですよ」と先生。そして、次の瞬間、先生に言われた言葉で、目が覚めた。

「社会復帰はできると思うが、半年か1年くらいはかかるのではないか」

社会復帰? それって、これまでの生活ができなくなるということ? そのとき初めて「何か大変なことになっているのだ」と自覚した。ただ、あまりにもがんに対する知識がなさすぎて、どこがどう悪く、治療がどういうものなのか、まったくイメージがつかなかった。

あなたは大丈夫? 無視してしまいがちな、自分の健康
PET検診には少し時間がかかった。結果が出るまでのあいだ、私はあらゆるウェブサイトで、自分の症状と先生の言葉を照らし合わせ、いまどのステージにいるのかを探った。見るもの見るもの、書いてあることは怖いことばかりだった。詳しく調べることをはやめて病院の検査結果を待ち、会社を休む手続きについて、上司と相談した。

淡々と状況を説明する私よりも、上司のほうが衝撃を受けていた。「手をつけていた仕事については何も考えなくていい」という言葉に甘えさせてもらい、まずは毎日の検査をこなし、治療準備に専念させてもらうことにした。会社の同僚や関係者にはほとんど説明ができないまま、休職することになった。

病気というのは、自分や家族などがかからないと他人事のように考えてしまうことが多い。そのため、事前の検査や検診、対策を入念にする人は少ないと思う。私自身も、何の根拠もなく「身体だけは丈夫」と楽観視し、人間ドックやがん検診などはほとんど受診をしていなかった。自己管理の甘さが露呈され、身体を最優先とする療養生活のはじまりとなった。
がんになって初めて考えた「生きる」という言葉の意味
数日後、ステージがわかり、治療方法が確定した。私が選択したのは、手術療法と化学療法(抗がん剤)との併用。抗がん剤は2種類。手術前に1回、手術後に5回。合計6回の服用を1か月おきのサイクルで実施することになった。

治療のあいだは家族の助けがないと生活できない状態になり、入院期間、通院する日以外は、仙台の実家に帰って療養していた。抗がん剤は、がん細胞と闘うだけあって、身体のありとあらゆる調子を狂わせるものだった。私の場合、抗がん剤の効果が出て、以下のような副作用が出た。

・食欲の減退…何も食べられない日もあり、水くらいしか飲めなかった。
・胃腸の調子が悪くなる…食欲もないのに、お腹も痛い。辛すぎて救急車で運ばれて地元の病院に入院したこともあった。
・脱毛…精神的に一番打撃が大きかった症状。いまでもある意味、闘い続けている。

がんというよりも、抗がん剤の副作用と闘っているような気持ちだった。何のために、こんなに苦しい思いをしなければならないのか? 毎日、そればかりを考えていた。

答えはひとつしかない。これから生きていくうえで、必要な力を取り戻すためだ。
療養中は食べること、寝ること、歩くこと、人とコミュニケーションを取ること、すべてを「全力で」やる必要があった。いままで無意識にしていた動作にも、エネルギーが要る。「元気になったらやりたいことリスト」をあげてみたが、普段何気なくやっていたことしかなかった。

・走りたい(手術後は歩くので精一杯になった)
・本を読みたい(細かい文字の連続を読むのが困難になった)
・スマートフォンで買い物したい(長時間スマホ画面を見ることが辛かった)
・車を運転したい(瞬発力がなく、判断力も衰えていた)
・お寿司を食べたい(生もの、菌類の制限があった)

生きるという言葉には、「生活する、暮らす」という意味もあると思う。まさに、生活するための力を取り戻すことが、私にとってのがんとの闘いでもあった。がんになって一番良かったことは「生活するための力が重要である」という新しい気づきが生まれたことだ。知人の訃報を聞いて、「もしかしたら、自分もすぐ同じ場所に行くのでは……」と、死の恐怖を感じたこともあった。健康なときには、まったく考えたことのないことばかりだった。
生きるには「パワー」が必要だ。身体の衰えと闘う、復職後の日々
抗がん剤投与の期間中は毎日、体力を回復させるために、とにかく歩いた。雨の日や暑さで外に出られない日は、両親に頼んでショッピングセンターに連れて行ってもらい、店内を歩き回った。そのおかげか、予定どおり8か月後には社会復帰できることになった。もとの部署に戻ることができ、時短勤務で復職させてもらえることになった。

治療に専念している頃、実家のまわりをよく散歩していた
ただ、体力はほとんど戻っていない。オフィスは52階にあるのだが、高層階の気圧に耐えられず、職場がまるで雲の上にあるように思えた日もあった。社会復帰して2年以上経過したいまでも、体力のなさを痛感することがある。

「生きる」って、パワーが必要だ。パワーを保たないと、死んでしまうかもしれない。だから、パワーを蓄えるために必要なことを頑張る。それは、「食べること」「寝る(休養する)こと」「運動すること」「働くこと」「コミュニケーションを取ること」……など、普段どおりの生活を送ること。今日も、そうやって生きている。

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